インターネットの先に理想郷が見えるような気がしていたあの頃
この辺の件↓のブクマコメントを見ていて思ったのですが、
虚構新聞デジタル:本紙読者のみなさまへ、広告収入寄付のご報告
立命館大学「ゲーム資料現物寄付」のページは、なぜ炎上してしまったか(井上 明人) - 個人 - Yahoo!ニュース
最近はどうも自分の感覚としっくりこないものを見る機会が増えました。
虚構さんの件で言えば、誹謗中傷であるかをあまり考えずに「風刺」であったりただのネタなんだからいいじゃないか的な反応。まとめサイトに関してだと、上の記事に「お前らまとめサイトを叩き過ぎじゃない?」的なコメントが付いてたのでこの話書こうと思ったのに今見たら無いな消えちゃったのかな?
この違和感はインターネットをどれだけ「素晴らしいもの」にしたがっているかによるんじゃないかな、とふと思いました。
つまり、自分は高校の終わり~大学ぐらいのタイミングで初めてネットに触れた人間ですが、あの頃は「インターネットが世界を変えてくれるんだ!」的な漠然とした(もしかしたら人によっては具体的な)イメージがありました。で、そういうインターネットによって変えられた世界がより良いものであってほしいというところから、やれネットの言論空間はこうあるべきとか、既存のメディアがこうだからネットはもっとこういうものであってほしいとか、そういう意見や考え方みたいなものがたびたび発信されていました。ちょうどYahoo!BBがそこら中でモデムをバラ撒きだしたよりももうちょっと前ぐらいのことでしょうか。その手の議論は殺伐としていたわけではなく、むしろちょっと空想的・ユートピア的にすぎるきらいがあったのかなと今となっては思いますが。
たとえば今適当に「インターネットのあるべき姿」で見つけたこんな感じの。
http://nishidanishida.web.fc2.com/view_15.htm
これも適当にググって見つけただけですがだいぶ古いもの。
http://www.glocom.ac.jp/proj/kumon/paper/1997/97_07_10.html
とはいえ、我々もインターネットが急速に進化していく中で「どうやらインターネットってのはそんな理想郷みたいなところにはならんぞ」ということに気付いたり、そういう限界みたいなものが見える中でもインターネットはやはり素晴らしいものだと思ったりして現在に至ります。
一方で、ある程度mixiやブログが浸透した以降にネットに入ってきた人は、良くも悪くもあまりそういうことを考えず、インターネットをもっと単純に日常に彩りを与えてくれる程度のものであったり、ただのコミュニケーションツールであったり、とにかくより日常的なものとして捉えている気がします。なので、別にインターネット界をより良いものにしていこうなんて発想は無いし、虚構さんやまとめサイトの記事も自分たちのコミュニケーションにおいてネタ的に消費するだけのものにすぎない。
ある記事の中で行われる誹謗中傷だったり、過度な煽りだったりを、その直接的な被害者でもないのに「ふざけんな!滅びろ!」と思うのって、その空間をより良いものにしたいと思ってないとそもそも起こりえないですよね。そういう視点であったり、そもそもインターネットがもしかしたら理想郷になってくれるんじゃないかと0.1%でも思える肌感だったり、そういうものが自分の世代と最近の世代だと違うから、こう話が噛み合わなかったり、どうも違和感とイライラを感じる案件が出てきたりするのかなと思った今日この頃。
もうちょっとだけインターネットに夢を見ていたいなー。
- 作者: 村井純
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