世界の合言葉はバランス

世の中は概ね割り切れない

公式アカウントの「中の人」に同僚はどのぐらいのレベルまで絡んでいいのか的な話

社内でちょっと話をしたことの備忘として。Twitterを例に。


もともと個人的に、TwitterのようなSNSを企業が公式アカウント用意して運用する際には「キャラクターによる運用」がベストだと思ってます。私が言うまでもなくいくらでも例があるのでアレですが、まぁ炎上リスクだったりとか、複数人による運用だったりとか、ブランディングのしやすさだったりとかが理由ですね。

で、その手の運用として当然「中の人」がいるわけですが、「中の人以外」であるところの同僚はそういったキャラクターにどの程度絡んでいいのか?という観点の話はあまり聞いたことがないので、ちょっと考えた次第です。

まぁ実際のところ、よほど個人として認知のある社員さん以外は特に触れないのがベストだとは思うんですけどね。100人や200人しかフォロワーいない社員が拡散した所でたいした効果はなく、一方で「あいつら自作自演やってやがる」的に受け取られるかもしれないわけで、絡み方によって何かしらブランドを毀損するリスクのほうが高い印象。個人としてけっこうなフォロワーがいるとか、それなりに発言力があるなら拡散のメリットのほうが強まるかもしれませんが。


「中の人に会った」

まずはこれですが、まぁ許容していいんじゃないでしょうか。「中の人などいない」ってのはネタ的というか公然の秘密であって、それ自体は表明されてもたいしてダメージにはならないのでは。


「中の人はかわいかった」

公式アカウントのキャラクターにマッチしてれば許容範囲かな。例えばlivedoorブログADのなっちゃんの中の人が実際にかわいかった、とか。知らないけど。


「中の人は博多弁だった」

さすがにこの辺まで来るとよろしくない印象。キャラクターよりも中の人自体が前に出てしまっている感じ。会社としてはあくまでキャラクターであることが重要なのであって。


「中の人は有給休暇中」

これもキャラクターよりも中の人自体が前に出てきてしまっている感じでNG。中の人ではなくあくまでキャラクターが有給休暇、という表現ならまだアリだけど、せめて「有給休暇」という表現は避けたいですね。親しみやすかったキャラクターが急にビジネスの現実に引き戻された感。


「中の人が社長に表彰されてた」

これもビジネス色が出ちゃいますけど、ある程度ファンが増えているアカウントなら中の人に対する親しみも出てきてるわけで、ポジティブに受け取られる可能性は十分ありそうですね。中の人に対する敬意は、そのまま「SNSを大事にしている会社」という評価にも繋がるかもしれない。




要は「公式アカウントや会社キャラクターがどういうブランドを掲げているかを気にして、そこから外れるようなツイートはしないように」的な話であって、それは中の人についてだけの話でなく、企業に属する人がSNSで発信するときに何に気をつければいいの?というのと同じ着地点ですわな。それが簡単に全社員に浸透させられるなら苦労しない。


中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?

中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?